無題
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2025/07/12 (Sat) 13:55:14
筆順とは何か、「右」を「一」から書いてもよい(漢字そぞろ歩き阿辻哲次)
国語の教科書には、新たに学ぶ漢字の筆順が掲載されており、学校や塾の先生の中には、その「正しい筆順」の通りに書くよう厳しく指導する方がいる。社会人になっても同僚や友人から「筆順が違う」と指摘され、笑われた経験を持つ方もおられるようだ。
しかし、はっきりいわせてもらえば、漢字は昔からずっと同じ筆順で書かれてきたわけではない。極端な例では古代中国の「甲骨文字」は文章全体の縦線を刻み終えてから、次に甲羅や骨を90度回転させて横線を刻んだし、木版印刷で使われた明朝体も、職人たちは漢字を彫りやすいところから彫っていった。
甲骨や木板印刷は特殊な例だが、紙に書かれた普通の漢字の中にも、同じ字が異なった筆順で書かれることは珍しくない。書道関係の辞典に挙げられている名家の筆跡を見ても、たとえば明末から清初に活躍した王鐸(おうたく)は「右」を“ノ”を書いてから“一”を、つまり縦から横の順に書いているが、ほぼ同時代の傅山(ふざん)は“一”から“ノ”へ、つまり横から縦の順に書いている。
この「右」と「左」の筆順について、多くの先生は、「右」は“ノ”が先、「左」は“一”が先、と厳しく指導する。実際に教科書や辞書もそうなっていて、これは「筆順問題の定番」なのだが、しかし実際に筆順がそう決まっていたわけでもない。
いま日本の学校で教えている筆順は、昭和33年刊行の『筆順指導の手びき』(以下『手びき』)に示されているものだが、それは決して「文部省公認の唯一の規範」ではない。
話は終戦直後にさかのぼる。戦後の日本は法律や公用文書などで「当用漢字表」にある漢字だけを使うこととしたが、昭和21年に告示された「当用漢字表」は使える漢字の種類を示すだけの表で、「學」「樂」「國」などが旧字体のまま印刷されていた。
戦前からの活字を使って印刷するしか方法がなかったからだが、それが昭和24年の「当用漢字字体表」で、各字を印刷する際の規範的な形が示された。
この時に新字体が基準となったのだが、新字体の中には「与(與)」や「旧(舊」)、「寿(壽)」など、旧字体から大きく形が変わったものも多くあった。新字体はかつて「俗字」とか「略字」とされていたから、ハレの文字として書かれることが少なく、世間に通用する共通の書き方が確立されていなかった。
学校で教えることになった「俗字」に統一的な書き方がなかったことが教育現場を混乱させた。そんな事態を受けて文部省が示した書き方の目安が、前述の『手びき』なのである。
だからこの本には当時の義務教育で教えた881種類の漢字だけしか筆順が示されておらず、それ以外の漢字で市販の辞書などにある筆順は、すべて「原則を適用して考えだされた」ものである。
『手びき』の初めに「本書のねらい」があって、当時の社会には書家が使うものや一般社会で使われるものなど、2種あるいは3種の筆順があったので、「学校教育における漢字指導の能率を高め、児童生徒が混乱なく漢字を習得するのに便ならしめるために、教育漢字についての筆順を、できるだけ統一する目的を以(もっ)て本書を作成した」と書かれている。
ところがこの「教育漢字の筆順を統一する目的」の本が、「文部省初等中等教育局初等教育課編」という名前で出版されたことから、世間は文部省が公式に定めた筆順と認識し、その筆順が辞書や参考書などに「正しい筆順」という位置づけで掲載された。
だが文部省は「正しい筆順」を決めたわけではない。「本書のねらい」は続けて「本書に示される筆順は、学習指導上に混乱を来たさないようにとの配慮から定められたものであって、そのことは、ここに取りあげなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない」と書いている。つまり『手びき』は学校で習う漢字についてともかく筆順を示すけれども、しかしそれだけが唯一の正しい筆順ではなく、それ以外の順序で書いてもまちがいではない、とはっきり書いているのだ。
また最後の「本書使用上の留意点」にも、ここの筆順は学習指導の観点から一字に一つとしているが、この本にあるもの以外の筆順を誤りとするものではない、と明確に述べている。
では筆順とは何か? それは各人が漢字を書く時にもっとも合理的で書きやすく感じる順序、としか私には答えられない。だから左利きの人用の筆順もあるべきだと思うが、そのことは学校では不思議なほどに論じられない。(漢字学者)
無題
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2025/07/12 (Sat) 14:00:08
小島よしお、『〈叱る依存〉がとまらない』の戒め イライラのはけ口にせず(半歩遅れの読書術)
かつて私は「鬼軍曹」と呼ばれ、事務所内の後輩に礼儀の面で厳しく接していた。自分は体育会系の経験があったせいか、先輩にかわいがられていたため「自分ができるんだから君もできるでしょ?」という考えが強く、それが事態を悪化させていたのだと思う。後輩たちは次々と離れていった。
「おまえのためを思って言ってるんだ」という説教が、なぜ長時間になってしまうのか? 叱られる立場だった時も、ありがたく感じながら、途中で「もう帰らせてくれ」とどうしても願ってしまうのはなぜか? 村中直人著『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊国屋書店)は、その正体を教えてくれた。問題は叱る依存にあったのだ――。
著者は「お酒を飲むことと、お酒を飲まずにいられなくなることが違うのと同じ」と依存性を説き、「叱る」との上手なつきあい方を解き明かす。
叱る側が依存しているとはどういうことか。誰かを処罰すると脳内にドーパミン(報酬)が出る。つまり、他人を注意する(苦痛を与える)ことが報酬になっているのだ。「自分は正しい」と信じて叱っていても、実は自分のストレスや不満のはけ口となっている場合もある。「うまくいかない現実へのイライラ」「低すぎる自己評価」「他者への劣等感」「多忙や体調不良」など、誰にでも起こりうる要因が背景にある。だからこそ、この問題は叱る立場にある人(指導者、先生、上司、親)こそ理解する必要がある。SNSでの発信やコメントもしかり。
もちろん叱る効果はあるだろう。私の忘れ物が減ったのは妻に叱られたおかげだ。幸い、スポーツ界などでは叱らない指導の動きも始まっている。今はそのターニングポイントなのかもしれない。
この本は戒めになった。お酒が入った状態で叱ると尾を引きやすいので控える。伝えるときは「○○できていないから」ではなく、「△△できるといいね」と言うように心がけている。いまでは後輩たちとの距離はとても縮まったと思うし、「雰囲気すごい変わりましたよね?」と言ってもらえるようになった。
叱ることは水やりに似ていると思う。あげすぎると根腐れしてしまう。相手の状態を見極め、量を調節することが必要だ。
叱らずに人を成長させる術をみんなが共有できれば、子どもたちが失敗を恐れずチャレンジできる環境を作れる。未来はきっとおっぱっぴー(明るい)!(お笑い芸人)