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米ハイテク株は「バブル」にあらず(NY特急便)

1:Geronimo:

2020/09/12 (Sat) 09:46:11

 11日のダウ工業株30種平均は前日比131ドル高で終えた。一時は300ドル近く上昇したが、午後にアップルが下げ幅を広げるとダウ平均も伸び悩んだ。
 米経済が過去最大の落ち込みとなるのを尻目に、業種別のS&P500種株価指数「IT(情報技術)」は9月2日の高値まで年初来で4割近く上昇していた。翌3日から始まったハイテク株安を、2000年のITバブルの崩壊になぞらえる市場関係者も多い。
 米株はITバブル崩壊でグロース(成長)株相場が終わり、08年のリーマン・ショックまでバリュー(割安)株相場が8年間続いた。今回もそれと同じ歴史的な転換が起きるのか。
 米運用会社ニューバーガー・バーマンのジョセフ・アマート氏は「バリュエーション(投資尺度)は20年前に比べ非合理な水準ではない」と指摘、ハイテク株はバブルにはほど遠いとみる。S&P500種「IT」の予想PER(株価収益率)は26倍。ITバブルのピークだった00年3月には53倍に達していた。
 債券との比較でもバブル的要素はみられない。1株利益を株価で割って計算する株式益回り(PERの逆数)と債券利回りを比べてみよう。00年3月は米10年物国債利回りが6.0%だったのに対し、S&P500種「IT」の株式益回りはわずか1.9%。株を売って債券を買うのが当然のようにみえる。一方、現在は10年債利回りの0.7%に対し、IT株の益回りは3.8%ある。
 米金融調査会社ヤルデニ・リサーチのエド・ヤルデニ氏は、ハイテク需要のバロメーターである半導体売上高に着目する。「00年の景気後退では半導体売上高はピークから最大46%減ったが、今回は直近2カ月で0.3%しか減っていない」。バブル崩壊といえる兆しはなにも見えないという。
 足元のハイテク株売りは、8月27日の米連邦準備理事会(FRB)による金融政策の新指針発表が起点だったように思える。「物価上昇率が目標の2%を超えることも許容する」。FRBがインフレと景気回復を後押しし、景気敏感株が多いバリュー株に資金が移るとの観測が浮上した。コロナワクチン開発の進展もその見方に拍車をかけた。
 新指針により、景気敏感株への資金シフトが起きるのは確かだろう。10年債利回りは過去最低水準で推移しており、インフレ期待が高まれば一段の低下余地は乏しい。となるとバリュー株に比べPERが高い(株式益回りが低い)銘柄が多いハイテク株は買われにくいという理屈になる。
 ただ、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コム)に代表される巨大ハイテク企業の業績に陰りはみられない。業績が急速に悪化したITバブル時との決定的な違いだ。PERの上昇は見込めなくても、ゼロ金利が続けばPERが大きく低下するとも考えにくい。利益の伸びに応じた株高は十分にありうる。
 8月はオプションを利用した投機的な買いも積み上がっただけに、持ち高調整にどの程度の時間がかかるのは見通すのは難しい。それでも10月の決算発表シーズンが近づけば、ハイテク株の成長力に視点が移り、買いが戻ってくる可能性は高いのではないか。(NQNニューヨーク=松本清一郎)
2:Geronimo:

2020/09/12 (Sat) 09:51:11

西川善文氏死去、元三井住友銀頭取、大手銀の再編主導。

 大手銀行の再編を主導し、三井住友銀行の初代頭取や日本郵政の社長を務めた西川善文氏が11日死去したことが分かった。関係者が明らかにした。82歳だった。
 1961年に大阪大を卒業し、住友銀行(現三井住友銀行)に入行。経営難に陥った総合商社の安宅産業や専門商社のイトマンの処理などで頭角を現した。金融危機の1997年6月に頭取に就任した後も不良債権の処理で手腕を発揮し、2001年のさくら銀行との合併、三井住友銀の誕生を主導。財閥の垣根を越えた三井系のさくら銀との経営統合で強力なリーダーシップを発揮した。
 三井住友銀の初代頭取に就き、02年から持ち株会社の三井住友フィナンシャルグループ(FG)社長も兼務した。04年には経営難から金融再編の焦点となっていた旧UFJグループを巡って、旧三菱東京フィナンシャル・グループとの争奪戦となった。統合交渉は実らなかったが、05年にFG社長と銀行頭取を退任するまでの間に三井住友銀を3メガバンクの一角に育て上げた。
 経営手腕を買われて、07年の日本郵政の民営化時に初代社長に就任した。郵政民営化に向けた陣頭指揮にあたった。09年の民主党政権の誕生で政府・与党と衝突し、辞任した。

西川善文氏死去―危機を生きた仕事師、ラストバンカーの異名(評伝)

 ラストバンカーの異名をとったのは引退後だが、現役時代から抜群の存在感と迫力があった。旧住友銀行の屋台骨を揺るがせた安宅産業破綻やイトマン事件の処理から、バブル崩壊後の不良債権処理まで危機の最前線には常に西川善文氏がいた。その仕事師ぶりに社内外の信頼は厚かった。
 バブル期に住友銀のトップに君臨した磯田一郎氏との関係を抜きに、西川氏は語れない。
 新聞記者を志していた西川青年に強く入行を勧めたひとりが当時、人事部長だった磯田氏だった。1975年、銀行に巨額の損失をもたらした安宅産業の破綻処理に、若き日の西川氏を起用したのも磯田氏だった。
 磯田氏に採用され、引き立てられた西川氏。逆に90年に発覚したイトマン事件では、退任を渋る恩師に引責を迫る場面もあった。緊急部長会を招集し、磯田会長への退任要望書をまとめた。
 それでも、磯田氏への畏敬を持ち続けた。
 「住友銀頭取になってから初めの数年間の磯田さんは魅力的だった」。2001年4月、三井住友銀行の頭取に就任した直後のインタビューで、理想の経営者像を聞くと「誤解を受けるので書かないでほしいが」と言いながら、こんな答えが返ってきた。
 「向こう傷を恐れるな」という磯田氏の言葉がある。一般には住友銀の過剰融資の原因と解説されることが多いが、西川氏はその真意を「安宅問題によるダメージを克服し、栄光の座を取り戻すことにあった」と前向きにとらえていた。
 バブル崩壊の後遺症から脱し、攻めの経営にいかに転じるか。西川氏にとって、さくら銀行との合併はその好機だった。強力なリーダーシップへの期待から株価も上がり、市場で「西川プレミアム」という造語も生まれた。
 ただ、実際には4年の任期中、西川氏の労力の大半は、ダイエーをはじめとする不良債権処理や、ゴールドマン・サックスに支援を仰いだ資本増強など守りの経営に注がれた。
 頭取退任後、周囲の反対を聞かずに日本郵政社長を引き受けたのは、どこかに燃焼し切れていない気持ちがあったからだろう。
 郵政民営化路線に逆風が吹き、09年、日本郵政社長を辞任した。晩年は孤高感が漂ったが、顔の見える数少ない経営者のひとりだった。

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